Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
この番組自体随分前のものですが、でも玉錦夫人がまだ存命だったのに驚いた。
玉錦は風貌も性格も振る舞いも朝青龍に似てると思います。表裏のない所も朝青龍に似てるし速攻の相撲も似ています。玉錦は二所ノ関の中興の祖だけど、高砂系の横綱と言っても不思議ではない感じです。朝青龍は玉錦の生まれ変わりじゃないかと思った時もあります。
その次の世代の覇者が双葉山、白鵬っていうのもなんか似てますよね。先輩の大横綱を更に超える凄い後輩って感じが
ただ朝青龍と違って、玉錦は自分の師匠をないがしろにしたり、稽古を怠けたりする人間ではなかったでようです。相撲に対する心構えは朝青龍より玉錦の方がずっと素晴らしいですよ。後半の朝青龍は相撲に対する心構えがいい加減になってきてたから。そんな朝青龍を玉錦と比べては駄目ですよ❗
とにかく喧嘩が大好き。けど、それ以上に稽古が大好き。そして、誰よりも相撲を愛していた人だったと思う。
圧倒的な強さ、乱暴さと人情を併せ持った強烈なキャラ、風貌、土佐ゆかりと皆さんおっしゃる通りどこか朝青龍に通じるものがありますねw
朝しょうりゃうがはずかしいよ。人間力が違う。日本の横綱ですよ
玉錦、前田山、北の富士、朝青龍辺りのヤンチャな横綱 色んなエピソードあって好きやわw
いい話。いい映像。三回みたぞ。奥さん、色っぽい方ですね。色っぽさはいくつになっても。見事です。
大相撲好きだけど、これは、かなり貴重な映像と写真が含めれた動画
物凄く貴重な動画ですね!ありがとうございます!しかしお歳を召されたといえ、背負われている太刀山関の筋肉は尋常ではないですね。
2:24男女ノ川にゴロニャーンしてる写真がwコワモテだが愛嬌のある人だったのですね。
玉錦を見てると風貌といい、ちょっと悪なところといい表裏がない豪快なところといい朝青龍に似ているなと思います。侠客がそのまま横綱にまでなった最後の力士かなと思います。玉錦の奥さんもさすが横綱の奥さんだと思うところがありますね。ちょっとやそっとじゃ動じなさそうな芯の強い人だと思われます。玉錦の猛稽古が後世に伝えられたし、良くも悪くも豪快で人情味あふれた名横綱です。昭和30年代半ばまで玉錦には健在であって欲しかった・・・
可愛いお人柄の横綱だったんですね。
周りの人間はたまったもんじゃ無かったらしい。
まるで、錦絵を思わせる!横綱ですね😊
まさしく〝人間味〟溢れる力士だったんでしょうね❗
「人間味」では済まされないと思うが。
3場所連続優勝で横綱になれないとか前代未聞過ぎる
32で昇進した琴櫻が年だし今までがいまいちだったからって見送られるのならまだわかるけど
@@キングクラウン 3場所連続と言いながら、当時は東京と関西本場所の2場所分をセットにして番付が組まれていたから、今とは少し事情が違います。
玉錦この人の強さハンバない凄い横綱大好き😍💓💓です
玉錦と清水川が江戸時代の侠客にしか見えない😅格好いいね👍
親友同士なんですよね。放蕩の限りを尽くした辺りはまるで同じ。ヤクザの親分と義兄弟になった玉錦と息子を諫めるために自死した父親の詫びで協会に復帰した清水川。チョット今では考えられないサイドストーリーですね。
昭和と20世紀生まれ初の横綱
3場所連続優勝で品格にかけるとして横綱昇進を見送られるのは草見た目も似てるしまじで昭和の朝青龍やな
玉ノ海梅吉が玉錦の葬儀にヤクザを入れなかった逆上したヤクザどもに「あんたら入れたら日本中からヤクザ呼ばなきゃいけませんからなぁ」と押し返した話好き。
その猛げいこぶりは、横綱になっても午前三時に起きて稽古した、ということを聞いています。
出稽古に行って他の部屋の力士を起こしまくったが、立浪部屋だけが双葉山がすでに稽古をはじめていた。
玉錦と玉の海。現役横綱中に死亡した2人は奇しくも同じ二所ノ関一門で同じ虫垂炎による死亡。鉄人玉鷲には無事これ名馬の証ともいえる連続出場記録を更新してほしいです。
関脇で10勝1敗(優勝)→9勝2敗→9勝2敗としながら大関になれず、新大関から9勝2敗→9勝2敗(優勝)→9勝2敗(優勝)→10勝1敗(優勝)しながら横綱になれないって気の毒。
893とも付き合いがあり、相当傍若無人な振る舞いだったようですね。現代で言うなら朝青龍が近い感じかと。
玉錦と旭富士の昇進が遅れたのは悲劇としか言いようがない
あっぱれな横綱ですね。もしかして播磨灘のモデルか?
3場所連続優勝して横綱になれないとか前代未聞ですなぁ
玉錦、玉の海。共通して悲運の横綱だったですね。
現役中に亡くなられたのは、悲劇的で、残念で、悲しい。のちの玉の海同様。
上品、下品という意味で品格がないと言われてたのかもしれないけど、誰分け隔てなく接している姿や、負けて優勝を取られた双葉山のところに袴来てお祝いに行くなんて、人間として品格は横綱にふさわしい力士ですな。
玉錦はヤクザと盃交わしてたり、そのヤクザを使って嫌いな力士を襲撃させたり品格どころの騒ぎじゃない問題児だけどな。動画内でも言われている通り、あまりにも問題が多すぎてなかなか横綱に推挙されなかった人物だし。弟子である玉の海にも「力士としては強いけど人間としては好きになれない」と言わしめたくらい。
@@kktt3941 やくざと盃を交わしたのは有名だけど嫌いな力士を襲わせたというのは聞いたことがないなあ。玉錦びいきのやくざが玉錦の意思とは関係なく暴走することはあったかも知れない。
@@ゆめメロン 宝川襲撃事件が有名。ただ加害者側の証言しか残ってないので事の顛末の信憑性には若干疑問は残るが。
@@kktt3941 逆に、武蔵山が玉錦に負けたとき、武蔵山びいきの右翼団体がその場で玉錦に詰め寄ったということもあったりして、裏社会との結びつきは当時の相撲界自体が抱えていた問題なのでしょう。協会映画部で働いた伊勢寅彦なども元々そういう社会の出身だったようで、相撲と闇社会のことは小中陽太郎著『栃若時代』が触れていますね。
@@susumudan5270 そっちは初耳だけど三杦磯の優勝がかかったときも贔屓筋のヤクザから脅迫を受けたらしいね。玉錦の没後に二所ノ関部屋を引き継いだ玉ノ海がまず最初にした仕事がタニマチのヤクザとの関係を清算することだったらしく、相当に大変だったそうだ。
174センチ135キロという体躯で圧倒的に強いのがスゴいです。朝3時から稽古なさったエピソードがスゴ過ぎ。
174センチは、当時の幕内力士の平均身長よりも小さい
69連勝前の双葉山の最大の壁。昭和以降での横綱としての勝率は双葉山、玉の海、大鵬に次ぐ85%
双葉関優勝を祝福する玉錦関の豪快な笑顔はいつ見ても惚れ惚れします。後方で立浪親方と立ってるのは元太刀山関の友綱?親方でしょうか。老いた太刀山、死出の旅路へ向かう玉錦、まだまだ若い双葉山の大横綱の三方が揃った一枚ですね。胸アツです。
太刀山であってるけどその写真が撮られた時はすでに相撲協会を退職していたので友綱親方ではなかったかな。ちなみに現在まで不知火型の土俵入りが続いているのは太刀山と双葉山の師匠である立浪親方が親友同士で、自分の弟子(羽黒山)に太刀山の土俵入りを継承させたから。この時羽黒山が不知火型を選択しなかったら不知火型はすでに途絶えていた可能性が高い。
@@kktt3941 さん、羽黒山とほぼ同時期?の横綱吉葉山関が悲運の人だったと言われて不知火型はゲンが悪いとされたんでしたか、琴桜関は思えば一門の玉の海関をリスペクトしてたのかも知れませんね。同じ柔道出身でしたしね。大麒麟関も一門で柔道出身だったから綱取りに成功してたら不知火型を踏襲してたかも知れませんね。
横綱昇進が3年くらい遅れたのは惜しまれる
その粗暴さは孫弟子の力道山に受け継がれていますね!
あー、よく似てる。
@@和田秀仁 盲腸炎で死んだ下りと力道山が刺されて亡くなった下りはよく似ていますね。どちらも本人しだいで助かったかもしれない命なのに。
宝川と喧嘩になり、懇意にしていた山口組に依頼して宝川襲撃させたら若き日の田岡一雄が宝川を殺そうとしたので慌てて止めたとか、番付に不満を持って出羽海に日本刀を持って追いかけたとか、凄まじい血なまぐさいエピソードには欠かせない。半面、親分肌で義理堅いところがあり、天龍事件では師匠についていくと宣言し、脱退に誘いに来た力士を怒鳴りつけて追い返したり、稽古をしっかりする力士には優しかったという。しかし総合的な人間評価は弟弟子の玉ノ海梅吉が言った「遠くの山は綺麗じゃがワシャ登ったんじゃ」という言葉が物語っていると思う。
太刀山、栃木山に育てられ双葉山、羽黒山を育てた玉錦
見るからに強そうですね😁😁😁
久々に見ましたが、やんちゃなところといい、風貌といい、朝青龍と被る部分がある様に感じるのはぼくだけでしょうか?
性格とか亡くなり方が力道山と似ていますね。
粗暴な性格は死ぬときも災いしたんだよなおとなしく医師やナースの指示に従えばいいものを暴れまわるもんだからみんな怖がっちまって。挙句の果てには寝っ転がったまま横綱土俵入りをしてな。その途中で息絶えた。強かったんだろうが、よっぽど粗暴だったんだろうな
力道山もそうだった、
5:04 この写真、結構いろいろなところで使われているが、どう考えてもどっちが優勝したのか分からん(笑)。祝福に来たはずの玉錦がでんと真ん中に居座って大口開けて笑っている。現に、ある本のキャプションには「玉錦の優勝祝いに駆けつけた双葉山」とあったくらいで。まあ、だとすれば太刀山はともかく、緑島の立浪親方までのこのこ付いていくことはないだろうが、そう間違われても確かに不思議ではない。
ホモに見えた
「高知県」と言うことと、やんちゃぶりがどこか朝青龍とイメージが重なりますね
粗暴で直情的だが竹を割ったような性格だったこと、体格的にはさほど恵まれず猛稽古で強くなったこと、後輩の横綱に勝てなくなってキレイに世代交代したのち不慮の引退をしたことなど朝青龍とかぶる部分は多いな。
どんな栄光を手にしても、30歳代半ばで亡くなってしまうのは気の毒としか言いようがない。
大関で三場所連続優勝で横綱になれないなんて余程だよw品格に欠けるとは言ってもどんな人だったんだろう。
飲む、打つ、買うの三道楽。それに喧嘩っ早い。ただし無類の稽古熱心。
力士同士の喧嘩にタニマチの山口組二代目に加勢を頼んだ
ていうか大関昇進すらすんなりできずに苦戦した
動く錦絵!
力道山と朝青龍を合わせたような粗暴な人間らしいが、いろいろな逸話を読むとはるかに魅力的な部分もありますね。
玉錦は、攻撃主体の相撲だなぁ。後の北の湖、朝青龍がそうではないか?
大関で3場所連続優勝したのに品位に欠けるとして横綱にならず…朝青龍より悪いのが日本人でおったとは…どんだけのワルなのか?(笑)
その後もう1回優勝したけどまた見送られ、今の成績に置き換えたら10勝5敗くらいの大関なら及第点くらいじゃねって成績でやっとこさ横綱にていうか大関昇進すら遅すぎる
玉錦→玉ノ海→大ノ海→初代若乃花→隆の里→稀勢の里
死に様も豪快な人だった
この時代にここまで太れるもんなんやな、身長も高いし。
我希望日本相撲重新做人。❤❤😂😂🎉🎉😢😮😮😅😅😊😊😅😅😮😢😢🎉😂😂❤❤❤❤❤😂😂🎉🎉
今の横綱と違いますね。やはり昔の横綱の方が横綱らしい。。
これが横綱としてふさわしいなら、誰も白鵬に文句は言えないね。
慶應生まれのアナウンサー生きていたんですね
この男は二代目山口組組長、山口登の舎弟だったんだよね。現役の横綱がヤクザの子分とか…まあ、時代が違うと言えばそれまでだけど。
当時の興行は大相撲に限らずヤクザとズブズブだったからな。しかもドル箱の収入源である地方巡業は現在のように協会主導での興行ではなく一門単位で自主的に行われていた。だから弱小一門・弱小部屋は各地方に顔がきく地回りのヤクザと昵懇になる以外生きる道がなかったわけだな。ちなみに玉錦の死後二所ノ関を引き継いだ玉の海は大のヤクザ嫌いで玉錦についていたヤクザとの関係をすべて断ち切った。そのせいで大幅な金欠となり、仕方なく部屋の力士や親方たちで軍需工場の勤労奉仕をして金を稼いでいたら、戦後それが原因で戦犯扱いされてしまったという話が残っている。
その続きで東京大空襲で焼けた二所ノ関部屋の再建のための金策に奔走したのが玉ノ海の弟子の力道山でしたが、皮肉にも力道山も玉ノ海と決別して協会を去った後にプロレスを通じてやはりヤクザとズブズブの関係になり、最後はヤクザに腹を刺されて絶命。ヤクザ嫌いの玉ノ海を介して玉錦のヤクザズブズブのDNAが力道山に隔世遺伝してしまった感があります。
@@佐野友宏 玉ノ海にとっては、とにかく手を焼いた師匠だったみたいですね。
@@kktt3941 柏鵬の頃まではひどかったらしいよ。
喧嘩の強そうな顔
玉錦→玉ノ海→ 佐賀ノ花→大鵬→大竜→王鵬
玉錦の奥さん長生きしたんですね
体つきと言い、顔つきと言い、どこか千代大海に似てますね笑
そーだ、どこかで見たような顔のような気がしたが千代大海に似てる。
ヤクザが力士になって横綱までのし上がったような印象。良い面でも悪い面でもヤクザ的な側面が感じられます。少なくとも暴対法がある平成以降の世なら明らかに暴力団周辺者該当の人物。いくら実力があっても絶対に横綱昇進は許されないし、そもそも角界にいられないでしょう。実績を残していたのと戦前という時代背景の影響かもしれませんが、前田山のような条件付き免許にならなかったのが不思議なくらいです。
27代庄之助の熊谷さんが入門して間もない頃、接したのはどんな気分だったんだろう。しくじって玉錦に呼び出されて、なかなか度胸あるな、しっかりやれと小遣いを渡されたというエピソード。
@@ghbxsyxaya12b7 他の方も書いてらっしゃる通りで、ヤクザ的な要素の良い面である義理堅く人情に厚い部分を熊谷庄之助さんは強く見たのだと思います。
不粋
常勝将軍
玉錦→玉ノ海→大ノ海→若乃花→若嶋津→一山本
とにかく稽古が凄かった。玉錦関の稽古を知っている人が大鵬の稽古が凄いと言っているが、玉錦を見た後では凄いとは言えない。稽古量で太刀打ちできる力士はいません。最大の功績は双葉山を強くしたこと。よく、双葉山関に胸を出していました。そのお陰で双葉山関は強くなったのです。うっちゃり双葉と言われていた頃は目立った成績は出してなく、上位にはまったくと言ってよいほど勝てないでいた時、親方や周りから勝負は勝つことが大事だから正攻法もいいが、勝つためには他のやり方もと言われても正攻法を取り続けようとした双葉関に対して、勝つことは大切だが、勝つこと第一では成長の妨げになってしまう。正攻法の相撲を取る双葉を称賛したいと思う。双葉が大成することは正攻法を取り続けること。玉錦関の称賛は双葉山関にとって大きな喜びであり、自粛になったことと思います。
85年前に死んだ力士の稽古の様子を実見しているのですね。凄い。おいくつですか?
@@和田秀仁 笑ったww
双葉山に良いよに覇者バトンタッチができた。
盲腸で亡くなる時代命を落とす病気ではない…
当時でも普通の処置をしていたら高い確率で助かっていたと思いますが、蒸しタオルで付け人に腹をもませた結果虫垂が破裂したり、入院後に看護師が掛けた布団を払いのけたり、飲んではいけないはずの水を持ってこさせたりしていたこその結果です。
@@佐野友宏 今の医学での話な当時の話しとらんで?ガチ返信乙かれ
@@ress904 玉錦が治療をしたがらなかったってこと
@@ress904 こんだけ行儀悪くて病状悪化したら現代医学でも救えねぇつーのw
@@ress904 当時の医学でも十分治癒できた病気。玉錦が「俺が盲腸なんかなるはずがない。冷え腹だ」と言ってまともな治療を受けないばかりか友宏氏が言うように逆効果になることばかりやって腹膜炎に発展したのが死因。今でも盲腸であんなことをやったら命が危ない。
この番組自体随分前のものですが、でも玉錦夫人がまだ存命だったのに驚いた。
玉錦は風貌も性格も振る舞いも朝青龍に似てると思います。表裏のない所も朝青龍に似てるし速攻の相撲も似ています。
玉錦は二所ノ関の中興の祖だけど、高砂系の横綱と言っても不思議ではない感じです。朝青龍は玉錦の生まれ変わりじゃないかと思った時もあります。
その次の世代の覇者が双葉山、白鵬っていうのもなんか似てますよね。
先輩の大横綱を更に超える凄い後輩って感じが
ただ朝青龍と違って、玉錦は自分の師匠をないがしろにしたり、稽古を怠けたりする人間ではなかったでようです。相撲に対する心構えは朝青龍より玉錦の方がずっと素晴らしいですよ。後半の朝青龍は相撲に対する心構えがいい加減になってきてたから。そんな朝青龍を玉錦と比べては駄目ですよ❗
とにかく喧嘩が大好き。
けど、それ以上に稽古が大好き。
そして、誰よりも相撲を愛していた人だったと思う。
圧倒的な強さ、乱暴さと人情を併せ持った強烈なキャラ、風貌、土佐ゆかりと皆さんおっしゃる通りどこか朝青龍に通じるものがありますねw
朝しょうりゃうがはずかしいよ。人間力が違う。日本の横綱ですよ
玉錦、前田山、北の富士、朝青龍辺りのヤンチャな横綱 色んなエピソードあって好きやわw
いい話。いい映像。三回みたぞ。奥さん、色っぽい方ですね。色っぽさはいくつになっても。見事です。
大相撲好きだけど、これは、かなり貴重な映像と写真が含めれた動画
物凄く貴重な動画ですね!
ありがとうございます!
しかしお歳を召されたといえ、背負われている太刀山関の筋肉は尋常ではないですね。
2:24
男女ノ川にゴロニャーンしてる写真がw
コワモテだが愛嬌のある人だったのですね。
玉錦を見てると風貌といい、ちょっと悪なところといい表裏がない豪快なところといい朝青龍に似ているなと思います。
侠客がそのまま横綱にまでなった最後の力士かなと思います。玉錦の奥さんもさすが横綱の奥さんだと思うところがありますね。ちょっとやそっとじゃ動じなさそうな芯の強い人だと思われます。
玉錦の猛稽古が後世に伝えられたし、良くも悪くも豪快で人情味あふれた名横綱です。昭和30年代半ばまで玉錦には健在であって欲しかった・・・
可愛いお人柄の横綱だったんですね。
周りの人間はたまったもんじゃ無かったらしい。
まるで、錦絵を思わせる!横綱ですね😊
まさしく〝人間味〟溢れる力士だったんでしょうね❗
「人間味」では済まされないと思うが。
3場所連続優勝で横綱になれないとか前代未聞過ぎる
32で昇進した琴櫻が年だし今までがいまいちだったからって見送られるのならまだわかるけど
@@キングクラウン 3場所連続と言いながら、当時は東京と関西本場所の2場所分をセットにして番付が組まれていたから、今とは少し事情が違います。
玉錦この人の強さハンバない凄い横綱大好き😍💓💓です
玉錦と清水川が江戸時代の侠客にしか見えない😅
格好いいね👍
親友同士なんですよね。放蕩の限りを尽くした辺りはまるで同じ。ヤクザの親分と義兄弟になった玉錦と息子を諫めるために自死した父親の詫びで協会に復帰した清水川。チョット今では考えられないサイドストーリーですね。
昭和と20世紀生まれ初の横綱
3場所連続優勝で品格にかけるとして横綱昇進を見送られるのは草
見た目も似てるしまじで昭和の朝青龍やな
玉ノ海梅吉が玉錦の葬儀にヤクザを入れなかった
逆上したヤクザどもに
「あんたら入れたら日本中からヤクザ呼ばなきゃいけませんからなぁ」
と押し返した話好き。
その猛げいこぶりは、横綱になっても午前三時に起きて稽古した、ということを聞いています。
出稽古に行って他の部屋の力士を起こしまくったが、立浪部屋だけが双葉山がすでに稽古をはじめていた。
玉錦と玉の海。現役横綱中に死亡した2人は奇しくも同じ二所ノ関一門で同じ虫垂炎による死亡。鉄人玉鷲には無事これ名馬の証ともいえる連続出場記録を更新してほしいです。
関脇で10勝1敗(優勝)→9勝2敗→9勝2敗としながら大関になれず、新大関から9勝2敗→9勝2敗(優勝)→9勝2敗(優勝)→10勝1敗(優勝)しながら横綱になれないって気の毒。
893とも付き合いがあり、相当傍若無人な振る舞いだったようですね。
現代で言うなら朝青龍が近い感じかと。
玉錦と旭富士の昇進が遅れたのは悲劇としか言いようがない
あっぱれな横綱ですね。もしかして播磨灘のモデルか?
3場所連続優勝して横綱になれないとか前代未聞ですなぁ
玉錦、玉の海。
共通して悲運の横綱だったですね。
現役中に亡くなられたのは、悲劇的で、残念で、悲しい。のちの玉の海同様。
上品、下品という意味で品格がないと言われてたのかもしれないけど、誰分け隔てなく接している姿や、負けて優勝を取られた双葉山のところに袴来てお祝いに行くなんて、人間として品格は横綱にふさわしい力士ですな。
玉錦はヤクザと盃交わしてたり、そのヤクザを使って嫌いな力士を襲撃させたり品格どころの騒ぎじゃない問題児だけどな。
動画内でも言われている通り、あまりにも問題が多すぎてなかなか横綱に推挙されなかった人物だし。
弟子である玉の海にも「力士としては強いけど人間としては好きになれない」と言わしめたくらい。
@@kktt3941 やくざと盃を交わしたのは有名だけど嫌いな力士を襲わせたというのは聞いたことがないなあ。玉錦びいきのやくざが玉錦の意思とは関係なく暴走することはあったかも知れない。
@@ゆめメロン 宝川襲撃事件が有名。
ただ加害者側の証言しか残ってないので事の顛末の信憑性には若干疑問は残るが。
@@kktt3941 逆に、武蔵山が玉錦に負けたとき、武蔵山びいきの右翼団体がその場で玉錦に詰め寄ったということもあったりして、裏社会との結びつきは当時の相撲界自体が抱えていた問題なのでしょう。協会映画部で働いた伊勢寅彦なども元々そういう社会の出身だったようで、相撲と闇社会のことは小中陽太郎著『栃若時代』が触れていますね。
@@susumudan5270 そっちは初耳だけど三杦磯の優勝がかかったときも贔屓筋のヤクザから脅迫を受けたらしいね。
玉錦の没後に二所ノ関部屋を引き継いだ玉ノ海がまず最初にした仕事がタニマチのヤクザとの関係を清算することだったらしく、相当に大変だったそうだ。
174センチ135キロという体躯で圧倒的に強いのがスゴいです。朝3時から稽古なさったエピソードがスゴ過ぎ。
174センチは、当時の幕内力士の平均身長よりも小さい
69連勝前の双葉山の最大の壁。昭和以降での横綱としての勝率は双葉山、玉の海、大鵬に次ぐ85%
双葉関優勝を祝福する玉錦関の豪快な笑顔はいつ見ても惚れ惚れします。後方で立浪親方と立ってるのは元太刀山関の友綱?親方でしょうか。
老いた太刀山、死出の旅路へ向かう玉錦、まだまだ若い双葉山の大横綱の三方が揃った一枚ですね。胸アツです。
太刀山であってるけどその写真が撮られた時はすでに相撲協会を退職していたので友綱親方ではなかったかな。
ちなみに現在まで不知火型の土俵入りが続いているのは太刀山と双葉山の師匠である立浪親方が親友同士で、自分の弟子(羽黒山)に太刀山の土俵入りを継承させたから。
この時羽黒山が不知火型を選択しなかったら不知火型はすでに途絶えていた可能性が高い。
@@kktt3941 さん、羽黒山とほぼ同時期?の横綱吉葉山関が悲運の人だったと言われて不知火型はゲンが悪いとされたんでしたか、琴桜関は思えば一門の玉の海関をリスペクトしてたのかも知れませんね。同じ柔道出身でしたしね。大麒麟関も一門で柔道出身だったから綱取りに成功してたら不知火型を踏襲してたかも知れませんね。
横綱昇進が3年くらい遅れたのは惜しまれる
その粗暴さは孫弟子の力道山に受け継がれていますね!
あー、よく似てる。
@@和田秀仁 盲腸炎で死んだ下りと力道山が刺されて亡くなった下りはよく似ていますね。どちらも本人しだいで助かったかもしれない命なのに。
宝川と喧嘩になり、懇意にしていた山口組に依頼して宝川襲撃させたら若き日の田岡一雄が宝川を殺そうとしたので慌てて止めたとか、番付に不満を持って出羽海に日本刀を持って追いかけたとか、凄まじい血なまぐさいエピソードには欠かせない。
半面、親分肌で義理堅いところがあり、天龍事件では師匠についていくと宣言し、脱退に誘いに来た力士を怒鳴りつけて追い返したり、稽古をしっかりする力士には優しかったという。
しかし総合的な人間評価は弟弟子の玉ノ海梅吉が言った「遠くの山は綺麗じゃがワシャ登ったんじゃ」という言葉が物語っていると思う。
太刀山、栃木山に育てられ双葉山、羽黒山を育てた玉錦
見るからに強そうですね😁😁😁
久々に見ましたが、やんちゃなところといい、風貌といい、朝青龍と被る部分がある様に感じるのはぼくだけでしょうか?
性格とか亡くなり方が力道山と似ていますね。
粗暴な性格は死ぬときも災いしたんだよな
おとなしく医師やナースの指示に従えばいいものを暴れまわるもんだからみんな怖がっちまって。
挙句の果てには寝っ転がったまま横綱土俵入りをしてな。その途中で息絶えた。
強かったんだろうが、よっぽど粗暴だったんだろうな
力道山もそうだった、
5:04 この写真、結構いろいろなところで使われているが、どう考えてもどっちが優勝したのか分からん(笑)。祝福に来たはずの玉錦がでんと真ん中に居座って大口開けて笑っている。現に、ある本のキャプションには「玉錦の優勝祝いに駆けつけた双葉山」とあったくらいで。まあ、だとすれば太刀山はともかく、緑島の立浪親方までのこのこ付いていくことはないだろうが、そう間違われても確かに不思議ではない。
ホモに見えた
「高知県」と言うことと、やんちゃぶりがどこか朝青龍とイメージが重なりますね
粗暴で直情的だが竹を割ったような性格だったこと、体格的にはさほど恵まれず猛稽古で強くなったこと、後輩の横綱に勝てなくなってキレイに世代交代したのち不慮の引退をしたことなど朝青龍とかぶる部分は多いな。
どんな栄光を手にしても、30歳代半ばで亡くなってしまうのは気の毒としか言いようがない。
大関で三場所連続優勝で横綱になれないなんて余程だよw
品格に欠けるとは言ってもどんな人だったんだろう。
飲む、打つ、買うの三道楽。それに喧嘩っ早い。ただし無類の稽古熱心。
力士同士の喧嘩にタニマチの山口組二代目に加勢を頼んだ
ていうか大関昇進すらすんなりできずに苦戦した
動く錦絵!
力道山と朝青龍を合わせたような粗暴な人間らしいが、いろいろな逸話を読むとはるかに魅力的な部分もありますね。
玉錦は、攻撃主体の相撲だなぁ。後の北の湖、朝青龍がそうではないか?
大関で3場所連続優勝したのに品位に欠けるとして横綱にならず…朝青龍より悪いのが日本人でおったとは…どんだけのワルなのか?(笑)
その後もう1回優勝したけどまた見送られ、今の成績に置き換えたら10勝5敗くらいの大関なら及第点くらいじゃねって成績でやっとこさ横綱に
ていうか大関昇進すら遅すぎる
玉錦→玉ノ海→大ノ海→初代若乃花→隆の里→稀勢の里
死に様も豪快な人だった
この時代にここまで太れるもんなんやな、身長も高いし。
我希望日本相撲重新做人。❤❤😂😂🎉🎉😢😮😮😅😅😊😊😅😅😮😢😢🎉😂😂❤❤❤❤❤😂😂🎉🎉
今の横綱と違いますね。やはり昔の横綱の方が横綱らしい。。
これが横綱としてふさわしいなら、誰も白鵬に文句は言えないね。
慶應生まれの
アナウンサー
生きていたんですね
この男は二代目山口組組長、山口登の舎弟だったんだよね。現役の横綱がヤクザの子分とか…まあ、時代が違うと言えばそれまでだけど。
当時の興行は大相撲に限らずヤクザとズブズブだったからな。
しかもドル箱の収入源である地方巡業は現在のように協会主導での興行ではなく一門単位で自主的に行われていた。だから弱小一門・弱小部屋は各地方に顔がきく地回りのヤクザと昵懇になる以外生きる道がなかったわけだな。
ちなみに玉錦の死後二所ノ関を引き継いだ玉の海は大のヤクザ嫌いで玉錦についていたヤクザとの関係をすべて断ち切った。そのせいで大幅な金欠となり、仕方なく部屋の力士や親方たちで軍需工場の勤労奉仕をして金を稼いでいたら、戦後それが原因で戦犯扱いされてしまったという話が残っている。
その続きで東京大空襲で焼けた二所ノ関部屋の再建のための金策に奔走したのが玉ノ海の弟子の力道山でしたが、皮肉にも力道山も玉ノ海と決別して協会を去った後にプロレスを通じてやはりヤクザとズブズブの関係になり、最後はヤクザに腹を刺されて絶命。ヤクザ嫌いの玉ノ海を介して玉錦のヤクザズブズブのDNAが力道山に隔世遺伝してしまった感があります。
@@佐野友宏 玉ノ海にとっては、とにかく手を焼いた師匠だったみたいですね。
@@kktt3941
柏鵬の頃まではひどかったらしいよ。
喧嘩の強そうな顔
玉錦→玉ノ海→ 佐賀ノ花→大鵬→大竜→王鵬
玉錦の奥さん
長生きしたんですね
体つきと言い、顔つきと言い、どこか千代大海に似てますね笑
そーだ、どこかで見たような顔のような気がしたが千代大海に似てる。
ヤクザが力士になって横綱までのし上がったような印象。良い面でも悪い面でもヤクザ的な側面が感じられます。
少なくとも暴対法がある平成以降の世なら明らかに暴力団周辺者該当の人物。いくら実力があっても絶対に横綱昇進は許されないし、そもそも角界にいられないでしょう。
実績を残していたのと戦前という時代背景の影響かもしれませんが、前田山のような条件付き免許にならなかったのが不思議なくらいです。
27代庄之助の熊谷さんが入門して間もない頃、接したのはどんな気分だったんだろう。しくじって玉錦に呼び出されて、なかなか度胸あるな、しっかりやれと小遣いを渡されたというエピソード。
@@ghbxsyxaya12b7 他の方も書いてらっしゃる通りで、ヤクザ的な要素の良い面である義理堅く人情に厚い部分を熊谷庄之助さんは強く見たのだと思います。
不粋
常勝将軍
玉錦→玉ノ海→大ノ海→若乃花→若嶋津→一山本
とにかく稽古が凄かった。玉錦関の稽古を知っている人が大鵬の稽古が凄いと言っているが、玉錦を見た後では凄いとは言えない。稽古量で太刀打ちできる力士はいません。最大の功績は双葉山を強くしたこと。よく、双葉山関に胸を出していました。そのお陰で双葉山関は強くなったのです。うっちゃり双葉と言われていた頃は目立った成績は出してなく、上位にはまったくと言ってよいほど勝てないでいた時、親方や周りから勝負は勝つことが大事だから正攻法もいいが、勝つためには他のやり方もと言われても正攻法を取り続けようとした双葉関に対して、勝つことは大切だが、勝つこと第一では成長の妨げになってしまう。正攻法の相撲を取る双葉を称賛したいと思う。双葉が大成することは正攻法を取り続けること。玉錦関の称賛は双葉山関にとって大きな喜びであり、自粛になったことと思います。
85年前に死んだ力士の稽古の様子を実見しているのですね。
凄い。
おいくつですか?
@@和田秀仁 笑ったww
双葉山に良いよに覇者バトンタッチができた。
盲腸で亡くなる時代
命を落とす病気ではない…
当時でも普通の処置をしていたら高い確率で助かっていたと思いますが、蒸しタオルで付け人に腹をもませた結果虫垂が破裂したり、入院後に看護師が掛けた布団を払いのけたり、飲んではいけないはずの水を持ってこさせたりしていたこその結果です。
@@佐野友宏
今の医学での話な
当時の話しとらんで?
ガチ返信乙かれ
@@ress904 玉錦が治療をしたがらなかったってこと
@@ress904
こんだけ行儀悪くて病状悪化したら
現代医学でも救えねぇつーのw
@@ress904 当時の医学でも十分治癒できた病気。玉錦が「俺が盲腸なんかなるはずがない。冷え腹だ」と言ってまともな治療を受けないばかりか友宏氏が言うように逆効果になることばかりやって腹膜炎に発展したのが死因。今でも盲腸であんなことをやったら命が危ない。